江戸から数えると中山道四十二番目の宿場で、
木曽の宿場町の中でも最も保存状態が良く、家並みが残されています。
それは江戸と現代とを結んでいるかのように。
まぎれ込む時空感。
中山道を行けば立ち寄りたい。家々の細部にまで町並を守る思いが熱く伝わってきます。
まるで時の空間に入ったような錯覚が心地よくも感じます。
鯉岩(町の名勝)
「木曽路名所図会」には鯉が空に向かって泳ぐ姿が描かれています。明治24年の濃尾大地震により形が変わってしまいました。
口留番所跡
戦国時代 (1467年~1600年) から江戸時代 (1603年~1868年) 初頭までの番所跡です。ここでは通行手形を検めて人々の通行を監視していました。
熊谷家住宅(町の有形文化財)
19世紀初頭に建てられた長屋の一部。長屋の左右の半分づつが残り、一軒の家として使用されていました。
高札場
今日でいう「官報掲示板」で、幕府が庶民に対し禁制や御法度を示したものです。お上のご威光をそのままに、人々を見下ろすように高札が掲げられています。
妻籠宿ふれあい館
木曽のひのきを中心に地域材を使って建てられた無料休憩施設。地元民芸品の実演販売も行われています。
妻籠宿本陣
島崎藤村の母の生家であり最後の当主は、藤村の実兄で馬籠から伯父の所へ養子に来た広介でした。本陣は明治になって取り壊され、その後、御料局妻籠出張所が建設されましたが、のちに町に払下げられたのを機に、平成7年、島崎家所蔵の江戸後期の絵図をもとに復元されました。
脇本陣奥谷(国の重要文化財)
代々脇本陣・庄屋・問屋を務めた家で、現在の建物は明治10年にそれまで禁制であった桧をふんだんに使って、城郭を模して建てられたものです。その優れた建築技術などが評価され平成13年6月に重要文化財に指定されました。島崎藤村の初恋の人「ゆふ」さんの嫁ぎ先でもあります。
歴史資料館
脇本陣奥谷に隣接しており、南木曽や木曽路の歴史、町並み保存運動の歩みなどを多くの模型や映像を用いてわかりやすく展示しています。
ギンモクセイ(県の天然記念物)
和智埜神社の神官を務めた矢崎家の庭木として代々愛育されてきた巨木です。開花期は9月中〜下旬頃。
桝形の跡(町の史跡)
宿場は、幕府のお達しにより防塞施設としてもつくられていました。敵の侵入をはばむために道を二度直角に折曲げた「桝形」が往時のまま保存されています。
光徳寺
町並より一段高い台地に石垣を築き、白壁をめぐらせた気品ある寺で、明応9年に開山されたといわれています。庫裏には、明治初期に遂応和尚が考案した車付駕籠(町の有形文化財)が展示されています。
延命地蔵(汗かき地蔵)
文化10年(1813年)に光徳寺住職忠外和尚が、足元から横になったような姿勢の地蔵尊の形をした変色部分のある珍しい岩を、蘭川より運んできて安置したものです。
下嵯峨屋(町の有形文化財)
当初、長屋であったものの一戸を昭和43年に解体復元しました。妻籠宿における庶民の住居を代表する片土間に並列二間取の形式をよくとどめています。
寺下の町並み
そこに人が住み、生活しながら続けられてきたのが妻籠宿の保存運動。最初に保存事業が行われた寺下地区は妻籠宿保存の原点ともいうべき町並です。
上嵯峨屋(町の有形文化財)
昭和44年の解体復元で18世紀中期の木賃宿であることがわかりました。建築当初の形式をよくとどめ庶民の旅籠宿としての雰囲気をうかがうことができます。
郵便屋さん
ここでは郵便局までが 黒いポストに古風なつくり。郵便屋さんも笠にはっぴ姿で歩いています。