残された石畳の道には、行き交う行列や先急ぐ旅人達の声、足音がしみています。
江戸風情の漂うこの街道はなぜか懐かしくつい、ぶらり歩きたくなります。
それは江戸と現代とを結んでいるかのように。
馬籠宿から馬籠峠を越えて妻籠宿、南木曽駅へ。
古き時代を身近に感じるとともに 今も残る江戸時代のたたずまいは、旅人の心をいやす優しさがあります。
馬籠峠から妻籠までの中山道は、与川道とともに国の史跡にも指定されています。
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※中山道は、現在通行止め箇所があります。看板の指示に従い迂回路をご利用ください。
中山道一部通行止めについて
かぶと観音(町の史跡)
木曽義仲が北陸路に出撃せんとする時、かぶとの八幡座の観音像を祀ったのがはじまりと言い伝えられています。
上久保の一里塚(町の史跡)
江戸から数えて七十八里目の塚で、町内で原形をとどめているのはここだけです。枝垂梅も見事です。
良寛歌碑
江戸後期の歌人良寛がこの付近を通った時に詠んだ和歌「この暮のもの悲しきに若草の妻よびたてて小牡鹿鳴くも」の歌碑があります。
妻籠城跡(県の史跡)
戦国時代から妻籠は木曽の南のおさえとして重要でした。 妻籠城は、主郭・二の郭・空堀・帯曲輪をそなえた規模の大きな山城で、主郭からは妻籠宿・三留野宿が一望できます。
石柱道標(町の史跡)
妻籠は中山道と飯田街道との分岐点として栄えたところで、この道標は明治14年に国道開通を祝い、飯田・近江・地元の商人によって建てられたもので、高さ3mあまりの大石柱です。
藤原家住宅(県宝・公開)
間取・構造・仕上りから17世紀半ばまでさかのぼる古い建築であることが判明し、昭和63年に復元修理されました。
倉科祖霊社
天正14年(1586年)松本城主小笠原貞慶の重臣倉科七郎左衛門朝軌が従者30余人とともに、賊たちによって全滅させられました。その倉科の霊を鎮めるために祀ったもので、毎年4月3日にお祭りが行われています。
大崖砂防堰堤(町の史跡)
明治天皇が工事を視察されたという県内で最初の石積みの砂防堰提。土砂に埋もれていたものが発見され、その一部を見ることができます。
旧中山道男滝女滝(町の名勝)
これら2本の滝は、男滝 (雄・左側) と、女滝 (雌・右側) として知られています。男滝は、日本の人気小説にも描かれています。吉川英治 (1892年~1962年) の長編時代小説、『宮本武蔵』では、主人公が剣術の鍛錬に集中すべく、最愛の女性への情熱を抑えるために男滝の下に飛び込みます。
一石栃白木改番所跡
下り谷にあった白木改番所が後に一石栃に移され、明治2年まで木曽五木(ひのき・さわら・あすなろ・こうやまき・ねずこ)をはじめとする伐採禁止木の出荷統制が行われていました。またここには立場茶屋(宿と宿の中間にある休憩所)がありました。
子安観音と枝垂桜(町の天然記念物)
昔からこの付近に住む者は難産しないといわれており、信仰の対象として子安観音が祀られていました。現在も安産祈願に多くの人が訪れます。
馬籠峠
標高790m、妻籠宿から三留野方面まで展望でき正岡子規の「白雲や青葉若葉の三十里」の句碑があります。