曹洞宗日星山等覚寺は、開闢は明らかではありませんが、寺にある由緒板書によれば、天正年中(1573~1592)に大雲和尚が寺を現在地に移し、曹洞宗に改め、明暦2年に金沢天徳院鉄心道印によって、中興開山されました。
貞享3年(1686)には、円空 (1632 頃~1695 ) が来寺して仏像(韋駄天像・弁財天十五童子像・天神像)を彫っています。円空は、美濃国 (現在の岐阜県) に生まれた廻国僧・彫刻家で、その生涯にわたって北日本全体を行脚しながら多数の作品を残しました。円空仏は、この時代には珍しい、ひとつの木の塊から彫り出された仏像で、現在では、国内全体で 5,300 体以上の仏像が円空の手によるものだと確認されています。
等覚寺には左から右の順に、学問の神の像、天神像 (左)、僧の食糧の面倒を見、厨房のかまどの上に設置 (そのために煤汚れています) されていた韋駄天像 (中央)、そして、15 人の童子 (現在は 7 体が紛失しています) を従えた音楽・詩や芸術の女神、弁財天の弁財天十五童子像 (右) の 3 組の円空仏が安置されています。
等覚寺の裏の丘の上には東山神社があります。この神社への道には枝垂れ桜の木が並んでおり、ここからは谷の全貌を見渡すことができます。
参考:南木曽町誌



